沿革

前理事長村津和正は1970年に九州大学歯学部に入学、1976年同大学卒業、1981年同大学歯学部博士課程予防歯科学専攻を満了し、同年歯学博士の称号を取得しました。

その後、同大学歯学部付属病院予防歯科にて研究、医療、教育に従事し、1982年テキサス大学オースチン校のInstitute for biomedical researchに2年間留学し、「一見健康そうであることが、真の健康ではない」という潜在的疾病状態に関する研究を行い、その外見の奥に隠された真理を見抜く理念を習得しました。

帰国後、米国留学によって得られた理念が生かされました。九州大学歯学部付属病院に勤務する傍ら、同大学健康科学センター健康外来の歯科口腔内科の責任者を兼務し、春日市と共催で実施された「生き生き老人健康度調査研究プロジェクト」を通して、「歯は臓器」であること、さらにその後の臨床研究を踏まえて「歯は命の中枢の臓器」であるという新しい医学パラダイムを達成しました。

従来の歯科医学が外見上のみの歯の健康を目指すものでり、歯の人体における真の機能の回復がなされていないことを喝破したのです。

尚、「歯は中枢の臓器である」とする新しい医学パラダイムに関する編著作はすでに8冊が上梓され、英語の国際版も作成されています。詳細はKOS九州口腔健康科学センターのホームページをご覧下さい。

1992年に1年間の佐賀県保健環境部健康増進課課長補佐の出向業務を終え九州大学に戻りました。健康科学者としての行政経験を踏まえ、ライフステージを通した歯の健康づくり、歯の真の理解「歯中枢説」の普及の必要性を痛感しました。

そこで、現在、副理事長、理事を務める倉地レイ子、今村幸子をはじめとする、幼稚園、小中学校、保健所、産業保健等の各分野のリーダーの方々に呼びかけ、九州大学健康科学センター内において第1回目の会議がもたれ、健康歯学フォーラム実行委員会が結成されました。

同実行委員会は、活動を継続し、2003年6月7日には、一大イベント「虫歯菌根絶一万人集会」をインターネットを用いた全世界オンデマンド放映も行いつつ開催しました。そして「歯は臓器 虫歯菌よさようなら、歯があるのが当たり前の社会になれ!」という大宣言を1万人の意識エネルギーの結集によって達成しました。

その後、会の社会的な認知性を高め、大宣言によって形成された意識の地球グリッドを現実のものとするために、日本歯臓協会と名称を改め、2004年に特定非営利活動法人の認可を頂きました。

それ以降も、地方自治体、少学校への位相差顕微鏡テレビモニターシステムの寄贈、各地でのセミナー開催、さらには毎月署名活動を実施し、内閣府への虫歯菌根絶等のための3万人以上の署名簿を提出するなど、使命達成に向けて積極的な活動を続けています。

これからも、新しい医学パラダイム、歯は命の中枢の臓器であるとする「歯中枢説」の理解の輪を一般の方々に広げ、本来のあるべき歯科医療の普及を図るとともに、すべての健康な歯があるのが当たり前の社会の達成を早急に達成させます。

それによって、人類が長年希求する「病気のない世界」が実現され、世界平和も実現されると確信しています。

年 月 日 事 項
1992年7月 第1回歯学フォーラム開催 歯学フォーラム実行委員会結成
2003年5月 虫歯根絶1万人集会実行委員会へ改称
2003年6月 虫歯根絶1万人集会を記念して日本歯臓協会を設立。
2004年6月 日本歯臓協会がNPOとして認可を受け、現在の特定非営利法人 日本歯臓協会となる。